今も思い出す・・
今年が終わります。
来年は母の七回忌。
早いもんです。時間だけが、解決してくれるのかもしれません
母が亡くなったとき、私の車で母を毛布にくるんで後部座席で抱いて
家まで連れて帰ったのですが、骨皮に痩せた母が重たかったのを覚えています。
母は乳がんでした、ステージが高く、もう治すとか出来るレベルではありませんでした。
わたしと妹は出来るだけ母の病院や、日常生活ができてるので、
一緒に旅行とかに出かけたりしました。そのときはやはり気持ちがいいのか
元気でした。私の知らないところで苦しんでいたでしょうが。
母が死んだとき私は、何もする気が起きなかった。
もう、どうでもいい・・・と思ったのに
時間が経つにつれ普通の暮らしに戻っていきました。
逢いたくて泣いたこともあります。
闘病期間は病院で一緒にいた時間、今までより話もたくさんできた。
喧嘩もした、忙しい中休みをとって来てるんで、イラッとしたり、でも・・もっと
一緒にいてあげればよかった。気持ちに余裕がなかったから・・・・。(;_;)
亡くなる前の最後の入院。4ケ月毎日病院に行った。
今まで、わがままなんて言わない人が、甘えてきた。
病院のご飯がまずいので、おにぎりを作ってきてくれという。
もう、長くないとわかってただろう。本が読みたいと言った
絶唱・・・という小説だった・・
昔 山口百恵と三浦友和で映画化されてたな・・・と思い
探したら絶版だった、アマゾンで随分高い金額で古本がでていたが、買ってあげれば
よかったと後悔している。他にも・・・
亡くなる前3日間くらい、穏やかだった
もう、長くないとわかって
、心の準備が出来る前に急変した。
最後の言葉もかわせなかった。
言い忘れた「ありがとう」・・永遠に言えない。
もう、七回忌がくるんだ。
そんなことをふと、思った今朝・・・・
今日もツレと妹にお弁当。
休みの時くらい、妹にも。晩ご飯ももたせてあげました。

ツレ弁
と妹弁

❀ イタリアン肉じゃが
❀ 春菊いり韓国風卵焼き
❀ ウィンナー とまと お花ハム
❀ 蕪、人参煮
月に一度、抗がん剤を投与に行く時は、送り迎えをする私に
朝早く起きて、私の好物を作ってもたせてくれた
無理しないでと言うと、
一緒に暮らしてた妹が 「お母ちゃんは、してやりたいみたい、朝から頑張ってるの」
ありがとう・・・・いくら感謝しても足りません
くいしんぼうだったあなた(母)の代わりに
たくさん、美味しいもん作るし。食べるね・・・・m(_)m
私も妹もツレも元気だよ・・・
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